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山形地方裁判所 昭和35年(ワ)62号 判決 1961年12月20日

原告 坂野二三郎

被告 国

訴訟代理人 真鍋薫 外三名

主文

被告は原告に対して金一万円およびこれに対する昭和三十五年四月十日から完済まで年五分の割合による金員を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

(双方の申立)

原告は、「被告は原告に対し金十二万七千円および内金十万二千円に対する昭和三十五年四月十日より、内金二万五千円に対する同月二十二日より各完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めた。

被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

(原告の主張)

一、原告は、山形地方裁判所昭和三二年(ヌ)第一四号不動産強制競売事件において昭和三十二年十月三日代金五万三千円で別紙目録記載の山林三筆(以下本件山林という)の最高価競買人となり、同月七日その旨の競落許可決定がなされて右山林の所有権を取得した。

二、そこで原告は、同年十一月四日訴外伊藤義勝の仲介をえて訴外浅野忠助に対し、本件山林中(一)、(二)の山林を代金十二万円で転売し、その手付金として金二万円を受領した。

三、ところが、昭和三十三年三月七日山形地方裁判所昭和三二年(カ)第一号競落許可決定に対する再審申立事件において、右の原告に対する競落許可決定が取消されることとなつて原告はその所有権を失い、且つ原告と訴外浅野との右売買契約は履行が不能となつた。そこで、原告は訴外浅野に対して手付倍戻をしてこれを解除するの止むなきにいたつた。

四、右は、国の公権力の行使に当る公務員である山形地方法務局法務事務官(登記官吏)が強制競売の申立があつたことを登記簿に記入する手続をとりながら、裁判所に対して送付した登記簿謄本に本件山林に抵当権が設定されていることの登記事項を記載することを過失によつて遺漏したことによるものである。

五、ために原告の蒙つた損害の内訳は次のとおりである。

1  金一万円

仲介人である訴外伊藤に口銭として支出した金額

2  金千五百円

昭和三十二年九月下旬頃訴外伊藤とともに原告が本件山林を実地踏査した際要した費用の最低概算額で、右二人分の日当として一人五百円宛の合計千円と交通費及び弁当代として五百円

3  金千円

転売を交渉すべく同年十一月四日訴外伊藤に依頼して訴外浅野を実地に案内して昼食を接待させた費用で、一人分の日当としての五百円と交通費及び弁当代として五百円

4  金二千円

本件転売契約を解除するにあたり昭和三十三年四月中旬頃訴外浅野宅を訪れて同人に対し手付倍返しにして結末をつけることを求めるために要した費用で、日当として五百円、交通費及び弁当代として五百円、会食費として千円

5  金二万円

手付倍戻として訴外浅野に元来返還すべき手付金二万円に加えて支出した金額

6  金六万七千円

本件(一)、(二)の山林についての競落代金と訴外浅野に対する転売代金との差額に相当する原告の得べかりし利益の喪失分

7  金二万五千円

本件(三)の山林の時価相当価格

8  金五百円

昭和三十二年十月三日の本件競売期日に原告が出頭した日当

合計金十二万七千円

六、被告の過失相殺の主張は失当である。原告は抵当権設定の件は登記簿を閲覧して承知のうえで本件山林を競落したものであり、勿論調査のうえでのことであるが、本件不動産強制競売手続は本件山林のほか十筆の不動産についてなされていて、うち建物の評価額からして三十二万三千八百円であるというので本件山林に金十万円の抵当権の設定があつたからとて本件競売の進行には何らの支障を生ずることもないものと思料していたところである。

(被告の主張)

一、原告の主張事実中

第一項の事実は認める。

第二項の事実は知らない。

第三項の事実中、昭和三十三年三月七日山形地方裁判所昭和三三年(カ)第一号競落許可決定に対する再審申立事件において原告に対する競落許可決定が取消されたことは認めるが、その余の事実は知らない。

第四項の事実は、登記官吏に過失のあつた点をのぞき、その余を認める。

第五項の事実はこれを争う。

二、本件競売手続の経過は次のとおりである。即ち、訴外今井エトは訴外遠藤庄八を債務者として本件山林のほか十筆の不動産について山形地方裁判所に対し強制競売の申立をなし(同裁判所昭和三二年(ヌ)第一四号不動産強制競売事件として係属)、同裁判所は昭和三十二年四月二十二日右強制競売手続の開始決定をして、同月二十三日その旨の登記を経た。次いで、同年十月三日の競売期日において原告は本件山林の最高価競買人となり、同月七日原告に対する競落許可決定がなされ且つ同決定は確定し、同月二十八日原告より競売代金の支払がなされた。

ところで、本件山林については、昭和三十二年三月三十日に前記債務者遠藤庄八において訴外斎藤一二に対して負担する債権額金十万円(利息年一割五分)の債務を担保するために抵当権を設定して同年四月十八日にその登記を経由していたところ、前記強制競売の申立があつたことを登記簿に記入すべき旨の嘱託をうけた登記官吏において、右申立を登記簿に記入する手続はとつたけれども、裁判所に対して送付した登記簿謄本には右抵当権設定についての登記事項を記載することを遺漏したがために、同裁判所は右のような抵当権が存在していないものとして執行手続を進めた。そこで、昭和三十三年三月七日同裁判所昭和三三年(カ)第一号競落許可決定に対する再審申立事件において、同裁判所は、本件山林の評価額を合計しても金六万百五十円にすぎないからさきの抵当債務を弁済して剰余ある見込がないが、右競売事件においてはその場合についての民事訴訟法第六百五十六条所定の措置を講じていない瑕疵があるからとて、原告に対する前記競落許可決定を取消した。次いで同年四月七日には、本件山林の最低競売価額金五万三千円を以ては差押債権者訴外今井エトの債権に先だつ不動産上の総ての負担及び手続の費用を弁済して剰余ある見込がないのでその旨を関係人に通知したが、何らの申立がなかつたとの理由で右の競売手続は取消された。

三、ところで、原告が損害として主張するところはいずれも失当というべきで、被告には賠償責任がないものである。即ち、

(1)  先ず国が賠償すべき損害の範囲は、国の公権力の行使に当る公務員(本件においては登記官吏)がその職務を行うにあたつて故意又は過失によつておかしたところの違法行為と相当因果関係に立つ損害を通常とし、特別の事情によつて生じた損害については当該公務員においてその事情を予見しまたは予見することを得べかりしときに限つてその賠償の責任を負うものであると解せられるが、およそ不動産が転売を意図して競落されるものであるということは通例ではなく特別の事情というべきところ、当該登記官吏においては原告が本件山林を競落してのち転売するということは予見することがなく、また予見し得べかりしところでもなかつたのであるから、たとい原告において訴外浅野と転売契約を締結し、それがあとになつて解除されたからといつて、それらに伴う出費とか利益の喪失とか(原告主張の第五項1ないし6)について被告に対して賠償を求めることは失当である。

(2)  また、原告の主張する競落代金と転売代金との差額に相当する利益を喪失したということについては、もとより本件(一)、(二)の山林の価格は評価額の四万八千円を超えることがないものというべきであるから(そうでないとするならば裁判所は不当に低廉な価格により競売を実行したというそしりを免れえないこととなろう)、原告主張の転売価格は通常の価格をはるかに上廻る異常な価格であるというべきで、当該登記官吏において予見しまたは予見することを得ない特別の事情によつて生じた損害を求めているものというべきであるから被告に賠償の責任はない。

(3)  また、原告は本件(三)の山林の価格を二万五千円として同額の損害を蒙つたと主張するが、その価格が競落価格の五千円を超えるものでないことは右の(2) と同理であるから、これまた登記官吏の予見しまたは予見することを得ない特別の事情によつて生じた損害を求めているものというべきであり、競落して後の価格の騰貴を理由にその賠償を求めるというのであれば、不法行為にもとずく損害賠償債権は不法行為時に成立するものであるからその後の価格の騰貴を以て損害となすは失当であり、いずれにしても被告に賠償の責任はないものというべきである。

(4)  また、原告は交通費、弁当代として出費を要したと主張するが(第五項2、3、4)仮にも現地に臨んだからとてその主張するような出費を要したというようなことは通常生じえないところであり、登記官吏において特段にかかる事情を予見しまたは予見することを得べくもなかつたことはもとよりである。

(5)  次に、前記一で示したように、もし当初より山形地方法務局から、裁判所へ宛て送付された登記簿謄本に抵当権設定についての登記事項が記載されていたとすれば、本件競売開始決定は早晩民事訴訟法第六百五十六条所定の手続を経て取消されたであろうことは容易に推認されうるところであつて、そうしてみると原告が本件競売手続によつて本件山林を取得しえないであろうことは登記官吏が登記事項を記載することを遺漏したと否とのことに係わりがないものといいうるので、その主張するように(第五項6)登記官吏が登記事項の記載を遺漏したことがもとで原告が本件(一)、(二)の山林についての転売利益を喪失したものとはなしえない。同様のことは本件(三)の山林の時価相当額を喪失したとの主張(第五項7)についてもいいうるところで、もともと本件過失のなかつたならば競落することもかなわなかつた筈の本件(三)の山林についての利益を主張するのであるからこれを以て損害ということのあたらないことはもとよりである。しかして本件競落許可決定が取消されてその競落代金が原告の手許に返還されているのであるからその間に損害の発生をみる余地はないものというべきである。

(6)  また、仮に原告が訴外伊藤に口銭として一万円を支払つたとしても、それは転売に要する費用としてその主張する転売利益から控除せられてしかるべきものであり、本件競落許可決定が取消されることなく転売されたとしたならば当然原告自らの負担に帰するものであるから、これを自己の負担とすることなくその主張する転売利益の賠償とともに被告に対してその賠償を求めることは失当である。

(7)  また、本件売買契約が解除されるにいたつたのは本件山林についての競売手続が取消されたために原告がその履行をすることができなくなつたことによるものであつて、所謂手付解除によるものではないから原告には元来手付倍戻しの義務はない筈であり、したがつてたとい原告が訴外浅野に対して手付金の倍額の四万円を交付したとしても、なお同人に対してはうち二万円の不当利得返還請求権を有しているわけであるから、その主張するように二万円の損害があつたものとはいいがたい。しかも、原告が主張する右手付なるものは実に単に売買代金の内金として授受されているにすぎないものであるから、解除に基く原状回復義務としては受領した額の二万円を返還すれば足りるところを倍返ししたということは、畢竟原告自らの責任においてしたことで今更被告にその賠償を求めることはこの点からいつても失当といわねばならない。

(8)  また、右の解約を求めるための諸費用として原告の主張するところ(第五項4)についても、仮に原告がそのために多少とも支出していたものとしても、これまた原告自らの責任において支出したことであるから今更被告にその賠償を求めることは失当である。

(9)  また、およそ損害とは現実の損害を指称するものであるが、原告が日当として主張するところ(第五項2、3、4、8)は現実の支出とはいえないのでこれを損害として賠償を求めることは失当である。

(10)  また、仮に原告主張の第五項8の日当として主張するところが損害の観念に該るとしても、それは原告が本件山林を競落すると否と、あるいは本件競落許可決定が取消されると否とに拘わらず、ただに原告が本件競売手続に参加したことによるものであるから、登記官吏が登記簿謄本に抵当権設定についての登記事項を記載することを遺漏したことと因果関係のある損害とはいいえない。原告の主張は失当である。

四、仮に以上の主張に理由がないとしても、本件登記官吏の過失と原告主張の損害の発生との間には因果関係が中断しているし、少くともその損害の発生ならびに増大につき原告にも過失があるので斟酌されてしかるべきである。

即ち、原告がその第六項で主張しているところからすると、本件山林には前記債権額十万円(利息年一割五分)の抵当権が設定せられていることを原告自身承知のうえで本件競売手続に参加してこれを競落したものであるということがいえるところ、もしそうであるとするならば、抵当権設定についての登記事項の記載を遺漏したことの過失が登記官吏にあろうとも、いずれ本件山林に対する競売手続が取消される運命にあつたことを原告においてあらかじめ承知の上で自己の責任において本件競売手続に参加して結局その主張するような損害を蒙つたものであるというべきであるから、登記官吏の過失と原告主張の損害との間には因果関係はないものといわねばならず、被告にその賠償責任はなく、その負担はあげて原告に帰せられるべきものであり、仮に被告に損害賠償の責任があるとしても、右損害の発生ならびに増大につき原告の側にも右のような過失があるので、右の過失は賠償額の算定にあたり、当然斟酌せらるべきものである。

(証拠関係)<省略>

理由

一、被告の主張する第二項の事実は、当裁判所に顕著なところであり(なお原告主張第一項参照)、また原告の主張する第二項、第三項の事実(なお、本件競落許可決定が取消されたことは当事者間に争がない)は、証人浅野忠助の証言とこれによつて真正に成立したと認められる甲第四号証とによつてこれを認めることができる。

二、右の事実によると、本件競落許可決定が取消されるにいたつたのは、ひとえに山形地方法務局法務事務官(登記官吏)が裁判所に送付した登記簿謄本に抵当権の設定に関する事項を記載しなかつたことによるもので、ために原告が損害を蒙つたとすれば、右はまさに国の公権力の行使にある公務員たる登記官吏がその職務を行うについて職務上の義務に違背した過失により違法に損害を加えたものに外ならないから、被告は国家賠償法第一条、第四条によりこれが賠償義務を負うものといわなければならない。

三、ところが被告は、仮に右登記官吏に過失があり、また原告が何らかの損害を受けたとしても、原告は本件競売手続に参加するにあたり本件山林に債権額十万円の抵当権が設定されていることを充分に承知していたものであるから、いずれその最低競売価格では右被担保債権を弁済して剰余がある見込はないとして本件山林の競売手続が取消されるであろうことは当然に予見しえたところであつて、これに参加すべきでないのを敢てこれに参加して損害を蒙つたものであるから、右登記官吏の行為と原告主張の損害の発生との間には因果関係が中断していると主張するけれども、原告の主張第六項の内容等本件弁論の全趣旨によるときは、原告が本件山林に抵当権が設定されていることを知りながらも敢てこれを競落するにいたつたことにはいささかその間の法律関係にうとい面があることが窺われるので、被告主張の事実から直ちに以て登記官吏の行為に発する因果関係が中断したとは目しえず、むしろ右の点はいわゆる過失相殺の問題として処理すべきところというべきであるから、その主張は採用しえない。

四、そこで進んで原告の蒙つた損害の点について検討する。

先ず、原告の主張する第五項6の原告が本件(一)、(二)の山林の所有権を訴外浅野に移転することが不能に帰したことから、同訴外人より取得することのできた競落代金と転売代金との差額に相当する利益金六万七千円を喪失したとの点と、同じく第五項7の本件(三)の山林を取得できたとするならば時価二万五千円に相当する財産を所有し得た筈であるがそれも喪失したとの主張について判断するのに、およそ不法行為者が被害者の蒙つた損害を賠償する責に任ずるのは、その損害が行為者の行為によつて生じたこと、換言するとそのような行為がなかつたならば生じなかつたであろうと考えられる損害についてであるから、もしも行為者の違法行為がなかつたとしても結局は被害者にとつて同様のことが生ずるにすぎないときは、この場合にその結果が仮に行為者の行為のもたらした結果だとの面をもつていても、これを目して被害者にとつての損害ということはできないところといわねばならない。けだしこれをも損害として被害者にその賠償の請求を許すとすれば、被害者に不当な利得を許す結果となるであろう。

これを本件について看るに、もし原告の主張のように強制競売の申立があつたことを登記簿に記入すべき旨の嘱託をうけた登記官吏において正確な登記簿謄本を裁判所に宛て送付していたものとすれば、前記の競売手続の経過に照らして結局は民事訴訟法第六百五十六条所定の手続を経て本件山林についての競売手続は取消されることとなつてこれが競落されるということもなかつたことであろうと推認されるが、それがたまたま登記官吏の過失によつて抵当権が設定されていることの記載を遺漏した登記簿謄本が裁判所に送付されたことから裁判所において競売手続をすすめることに何等の支障もないものとして取り扱われての挙句原告において本件山林を競落したというのにすぎないのであるから、それが後になつて取消されてその所有権を喪失し、あるいは訴外浅野との間の売買契約が解除になつて原告がその主張の如く不利益を蒙つた事実があるとしても、あくまでそれは登記官吏の過失の如何によらないところで、もし登記簿謄本に遺漏がなかつたものとすれば原告において取得しようにも取得しえない所有権についてのことであるから、たまたま本件登記官吏に過失があつたところから一時的には取得したかのような外観を呈したにすぎない所有権を喪失したからといつたところで直ちに原告が損害をうけたものとはいえないであろう。

しかして原告本人尋問の結果によれば、原告は本件競落許可決定が取消されてのち競落代金の還付をうけていることが認められてその間原告に損害を生ずる余地はないのであるから、この点においてすでに原告の右の主張は失当といわねばならない。

五、次に原告の主張する第五項の1と5(仲介手数料と手付倍戻金)の点について考える。

右損害は、なるほど被告が主張するように、本件登記官吏の過失行為から通常起り得る事柄に属するものであるとは解し難く、特別の事情によつて生じた損害であるといわねばならないが、いつたいに競落によつて取得された不動産が直ちに他との取引に出されるということは世上かなりに見受けられるところであるから、本件登記官吏においてもあるいは本件山林を競落しようというもののうちには転売を企図するものも現われるであろうことは、少くとも予見することを得べかりしところといわなければならたい、したがつて本件においても、被告は、原告が本件(一)、(二)の山林を転売するに際して出費したところの仲介手数料とかあるいは右転売契約が解約されたことから支出した費用については、それが相当の範囲のものである限りこれを賠償すべき義務があるものというべきである。

そこで先ず原告が訴外伊藤に支払つた右の転売契約を仲介したことによる手数料についてであるが、前頭甲第四号証、証人浅野忠助の証言、原告本人尋問の結果によつて窺える諸事情(例えば、本件(一)、(二)の山林には樹令五、六年の雑木と杉が生立していて売買価格も十二万円であること。訴外伊藤は現地に訴外浅野を案内してその場で本件転売契約を締結せしめたことなど)を考量するときは、原告が右伊藤に手数料として金一万円を交付したこと及び右金額は手数料としては格別に高額に過ぎるとは認めがたく経験則上相当であるとして妨げがないことが認められるので、被告は原告に対し右の金一万円を賠償する義務があるものというべきである。

次に原告が手付倍戻として訴外浅野に支出した金二万円の点については、証人浅野忠助の証言及び原告本人尋問の結果により、原告が同訴外人との売買契約が履行不能となつたのでこれを解除するの止むなきこととなつて、すでに右売買契約の締結と同時に同訴外人から内金名義で交付をうけていた金二万円に加えて支払をしたものであることが認められるところ、被告は右の訴外浅野から原告に交付された金二万円は単なる売買代金の内入金にすぎないから倍戻しの必要はない旨を主張しているけれども、およそ売買契約締結と同時に買主から売主にその代金の一部に相当する金員が交付されたときは、それがたとえ内金等の名義で交付されたにしても、一応手付、殊に民法第五百五十七条に規定するいわゆる解約手付としての意味を以て交付されたものと推定すべきであるところ、本件においてはこれをくつがえすに足る証拠はないから、右の二万円は解約手付として交付されたものと認めるのが相当である。ところが被告は、右浅野と原告との間に授受された二万円が元来は手付(解約手付)の性質を有していたとしても(したがつて、原告はその倍額を償還して契約を解除する権利を保有していたとしても)、本件のように原告が契約解除をなすに至つた原因が、裁判所の競落許可決定の取消による履行不能という客観的事由に基くような場合にあつては、原告は右元来保有する手付倍戻しによる解除権を行使し得ないから、この方法によつて浅野に交付した金二万円については不当利得返還請求権を有すると主張するが、原告が浅野に対し元来手付倍戻しによる解除権を有する以上、仮に原告の負う債務が履行不能の状況となり且つそれが契約解除の動機ないし原因になつたとしても、買主たる浅野において契約の履行に著手するまでは、売主たる原告において右倍戻しの方法による解除権の行使が出来ないという法律的根拠は何等存しない。そうである以上、原告から右浅野に支払つた倍戻金二万円が浅野の不当利得になるいわれもないから、被告の右主張は失当であり、被告は原告の支払つた二万円につきこれが賠償をなすべき義務を負うものといわなければならない。

六、次に、原告が交通費とか弁当代あるいは会食費として主張しているところ(原告の主張の第五項2、3、4)については、たとえこれが登記官吏の本件過失と相当因果関係のある損害としたところで、実際にその為原告が幾何の支出を為したかということについてはこれを認めるに足る証拠はなく、又、一般的にこれを幾何と定めるのを相当とするかを判断するに足るような資料も存しないので、結局本主張についてはその全額につきこれを被告の違法行為に起因する損害としてその金額を確定すべき資料がないことに帰するから、原告のこの点の請求は全部これを認容するに由ないところといわねばならない。

七、次いで、原告が原告自身の一日当り金五百円の日当を損害として主張しているところ(原告主張第五項の8)は、あるいは原告の競売参加人として一般的に受くべかりし利益の損失の趣旨かとも考えられるが、法律上右のような特段の規定のない以上、原告にそのような損害が現実にあつたことの証拠の存在しない本件においては、たとえこれが登記官吏の本件過失と相当因果の関係のある損害としてみたところでこれを原告の損害額に加えるわけにはいかないのである。また、原告が本件転売契約の仲介人である前記伊藤の一日当り金五百円の日当をも損害として主張しているところ(原告主張の第五項2)は、あるいは原告が右伊藤に支払つたとか、これから支払わなければならないという、前記一万円を除いたところの手数料あるいは報酬の趣旨かとも考えられるが、実際に原告が同訴外人に、口銭として前記一万円の支払をなしているほかに、なにがしかを支出したとかあるいはこれから支出しなければならないものがあるとかを認めるに足る証拠はないので、これまた認容するに由ないところといわねばならない。

八、従つて、原告は、本件登記官吏の過失によつて以上合計金三万円に相当する損害を蒙つたものといい得る。

そこで最後に被告から過失相殺の主張があるので判断するに、原告が本件山林を抵当権が設定されていることを承知のうえで競落したことはその自陳するところであり、そして、法務局から裁判所に送付された本件登記簿謄本に右抵当権の記載がなくても、その存在を知つている場合の通常の競売参加人の注意をもつてすれば、とうていその競落代金では右抵当債務を弁済することもかなわないことから推して、将来あるいは本件競落許可決定が取消されるであろうことが充分判り得た筈であるのに、ことここに思いいたらなかつた以上は原告にも過失があつたものといわなければならない(即ち、原告の蒙つた上記損害は、一面において原告自ら過失によつて招いた損害との面をも有するのである)。

この点をくんで考えれば、原告の前記損害額は金一万円の範囲においてこれを認めるのが相当である。

九、しからば、原告の本訴請求中、被告に対し右認定の額及びこれに対する訴状送達の日の翌日であること本件記録に徴して明らかな昭和三十五年四月十日以降完済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容すべきも、その余は失当として棄却を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西口権四郎 小谷卓男 武田平次郎)

目録

(一) 山形市大字岩波字戸神九百八番

山林 二反歩

(二) 山形市大字岩波字戸神九百八番の乙

山林 四畝五歩

(三) 山形市大字岩波字鬼越二十番の一

山林 一畝七歩

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